2013年4月8日月曜日

読谷6,7日目

読谷村6日目、朝からい〜〜〜イお天気さ。
那覇で素敵そうなライブがあったんだけど、
実は那覇の道が今ひとつわからないわたし。。。。。
車で向かうハッスルさが足りずに
宿でまったり過ごすことにしました。

宿には「ボーダー」というコミックがあってコレがはまるおもしろさ。
ヘアトリートメントをしながらお庭のデッキにゴロンしながら巻をすすめたのであった。

オーナー,Naomiちゃん,ウッシィは海へ。
誘ってくれたけど頭にターバン巻いてる状態なので宿でのんびりしてました。

午後はイオンタウンへ翌日会う友人の子供へのおみやげ探しに出かけたり、
夕方の海を散歩したり、みんなで記念撮影ごっこしたり。

なんとも居心地よい宿ライフでありました。ありがとう。







冷し物一切、、、なんだろう。。。。














宿のオーナー、Manabuさんに聞いた話しがありました。
この読谷村には戦争のとき2つの防空壕があったそうです。
この海の水平線も米軍の戦艦で真っ黒になったとき
その2つの防空壕にそれぞれの住民たちが逃げ入ったそうです。

1つのグループはアメリカ人は野蛮で極悪非道な、いわば悪魔みたいなもので
上陸する前に自決しようと服毒死の道を選んだんだそうです。
今でもその場所には遺骨や薬のビンがそのままにあるそうです。
風化させないためにも。

もう一つのグループは、その中にハワイ留学なのかな、アメリカ人に接した経験のある2人の人物がいたそうです。そして彼らは乱暴の極悪非道な人たちばかりではないと皆を説き伏せて、結果そこのグループからは誰一人の死者も出なかったそうです。

Manabuさんはこの話しを地元の当時14才のオバァに聞き知ったといっていました。
この1枚は1945年の読谷村の海岸の写真。
ManabuさんがFBにアップされていたのをダウンロードしました。

戦争は悲しい。
そのどちらにも友人や家族がいる、親がいる。
どうして人は何度も同じことを繰り返すのだろう。人なのか国家なのか、
今はわからない。。。



さて、話しはかわり、
読谷村の公民館はなんだか素敵な建物が多くて
宿の近くもしかり。
お年よりも子供達もその笑顔がいつのぞいても見られるのでした。
こんなとこでヨガクラスしたいなぁ。



 羅生門、経済門、、、、気になりますね。。。。。





凪くん

この夜はアイタルコーナーでRAS ROCKというレゲエのイベントがあって
ライフイズアジャーニーチームは7名で参加してきました。

みんなちょっとだけおめかしして出かけて、たのしかったなぁ〜。
実はこちらの宿を紹介してくれたのはアイタルコーナーのタカシさんでした☆

だからよけいにたのしいパーリィ。宮古島から移住してきたと紹介してもらった人や
おとなりやさんの(パンやさん)オーナーさんも来てたりとか、
自然と知り合いのように話しができるのって沖縄マジックです。

そしてこの夜からのルームメイトはシバーナンダTTC&ATTCを卒業していたmayuちゃん。
沖縄のあとに向かう高知のヨガスタジオの人とも知り合いのようで、つながる〜〜〜。
mayuちゃんはネパール帰り。。。

そうして翌日の20日はたのしかった読谷を後にする日。
さみしいにきまってるさ。。
でも、必ずまた会えるから、また会いたいから
笑顔でバイバイいうよ。(泣いたけど)
ありがとう〜〜〜〜x1000!!



see you soon!!

一路、宮古島へと向かうのであった。
旅はまだまだ続く。。。。


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