2012年1月3日火曜日

2012年。

新年おめでとうございます。
昨年中はブログへお越しいただき、ほんとうにありがとうございました。
2012年もささやかな日常の日記ではありますが日々を大切に綴っていきたいと思っております。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

さて、
12/29~本日1/3まで実家へ帰省しておりました。
本日函館よりもどりますと、札幌を出る前にキレ〜イに雪かきした家の前がすっかりリセットされておりました。。。。
明日からまた雪かきの札幌生活がはじまります。

振り返り日記。
12/29、JRで函館まで帰りました。
父、母、妹へのおみやげとは別に、お仏壇用の和菓子(けっきょく家族で食べるんだけど)や家族で食べる和菓子、そして今回はこちらのドーナツも。

おいしくて一人2コはあっという間にそれぞれの胃袋の中へ(笑。
はらドーナツ、思ってた以上のおいしさでした。
札駅に入ってますよ〜、スタバの隣り。

30日はアクシデントで東京からの前日入りが札幌入りになってしまった妹が早朝到着。入院中の父も朝にお正月外泊で家に帰ってきました。
11月にお見舞いへ行った時は40日以上の寝たきり生活からはじめてリハビリはじめた時で歩くこともままならない状態でしたが
つたえ歩きできるようにまで回復してその姿をわたしたちに安心させてくれるかのように見せてくれた父。
久しぶりに家族が揃って安心のうれしさ。
夜は『函太郎』のお鮨。ここネタがはんぱない上物でおいしい〜〜〜★


12/31は年取り準備。
我が家では、すき焼きが恒例。
おせちは今回は日本料理やさんからの3段重。

母の味は今回は、これまた我が家恒例のけんちん汁、うまに、なます。なにせ今母は父とおばあちゃんのお世話で毎日たいへん。
それでもみんなのためにいろいろ準備してくれてました。

買い出しとお掃除の途中で妹とゆくら神社へ新しいお札を買いに。




妹のお部屋から2011年最後の夕日が函館山の背景とともに見ることができました。

今年一年、健康に穏やかに過ごすことができたことに感謝して。
夜に妹と外へ出ると美しい上弦の月と星々が空に輝いてました。空気がきれい。


明けて1/1元旦の朝。
お天気がよくすがすがしい朝を迎えることができました。
お雑煮からはじまる日本の朝。



お口取りの色合いがなんともナチュラルで落ち着きます。

午後からは叔母の家へ。
従兄弟に子どもが産まれたのでお祝いを届けに。
叔母は絵を描くのですが、昨年は大きな賞を2度受賞。
本人の了解を得てupします〜。

従兄弟が文鳥のピッチを連れてあそびにきました。
動物は愛されているのがわかるのかとてもリラックスして安心しきってる。
その姿がまた愛おしいなぁと思うのです。




1/2は弟家族が新年の挨拶へやってきました。
朝ご飯を食べてからは迎える準備でおおわらわ。

恒例の母お手製のフルーツポンチに加え、今回はこれまた母お手製のホワイトソースで2種類のグラタンが用意され、
姪二人にはわたし、妹、父と母からお年玉が渡され、弟は長男らしく父と母にお年玉を渡して。
お土産にもっzてきてくれたケーキにこれまた我が家恒例のコーヒーを焙煎してのティータイム。
家族8人での新年のお祝いとなりました。

みんなが集まってるこの機会にと家のリフォーム話しを出してみました。
父と母の今後の家のありかた、たとえばバリアフリーを主軸にした家を考えた方がいいと私たち子どもは心配してるし、今回のことで母も心配してたし、父の考えもききたかったから。
何パターンかの方向性が出て、もちろん今すぐの結論は出ないけれど意識の中にインプットされたことは確かかな。

誰でも年をとるからな、家を建てるときはそんなこと考えないで建てちゃうけれど。子どもはやがて家を出るしね。一緒のことももちろんあるけれど、親が年老いてお世話することを考えたら、ね。

その夜はテレビの「忠臣蔵』の一挙放映を一挙観賞。

そして本日1/3,朝ご飯のあとは家族会議。
おばあちゃんの入院先の病院の話し。
今の病院は3ヶ月までの受け入れを余儀なくされることが多いからあらためて医療制度の在り方をわたしも考えさせられました。
人は誰でも年をとるし、健康で最後までまっとうできるとは限らないですから。

そしてJRまでの時間まで母が用意してくれていた晴れ着を着せてもらいました。
美しく上品な着物と帯、それにともなう小物一式。
わたしは素人だけど、かなりいいものだとわかります。

わたしの産みの母は8年前に他界しており、父とはわたしが中学2年のときに離婚、一人になった父はその後知人のすすめでお見合いし、今の母と再婚、その後妹が産まれました。
それなりにいろんなことがあってけっきょく弟は父に、わたしは父の名字のまま母につき、大人になりました。
弟とは仲がよく彼はよく遊びにきてたし、交流はずっと今も続いてる。

父方の何かの折りには呼んでもらってたし
父は節目節目で何かありたびに気にかけてくれてました。


3年前に父方の祖母が亡くなり帰国した時を境に父たちとの交流がはじまり
今に至っています。

ここでは書ききれないさまざまな確執もありました。
今の母ともぶつかって若さ故から失礼なことも云ったりしました。

今もお互いに遠慮がないとは云えないけれど、
わたしも母も、互いを心配しあって、たぶん愛してくれていると感じます。
わたしもこころから感謝して愛してると感じてます。
その気持ちは変わらずとも今後広く大きくなっていくことを感じています。

そんな母から用意してもらった晴れ着を着せてもらって着方を教えてもらって涙がでそうになりました。
父に見せたらもう涙がでちゃいました。

祖母が仕立てをしていた着物を包んでいたという呉服屋さんの風呂敷に着物を包んでもらってきょう持ち帰ってきました。

家族なんだから遠慮しないでいつでも来なさい、って言葉。ありがとう。


姪達ができて、父ともまた家族になれて、責任という言葉が以前と違うものになりました。
家族に迷惑かけないようしっかりと生きていかなくちゃって、落ち込んだときは支えになる。
父も今日からまた病院に戻ってリハビリに頑張る日々。
みんなみんな毎日の日々を、できることを精一杯で頑張ってる。

2012年は家族、友人、仲間、出会った出会いの繋がりを今まで以上に大切に生きていきたいと思います。

月並みではありますが、
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

miki sano

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