2012年11月26日月曜日

佐藤初女さん講話会へ

ブログの更新、日を追ってと思っても、思うようにはいきませぬ。。。。

で、きょうはきょうの出来事を。

佐藤初女さん、、、、その名を聞いたことのある方も多いのでは?
わたしもその一人です。
玄米菜食をはじめた時に、初女さんという方の存在を知ったのはもう14年前ほどになるのでしょうか。。。。

その後に『地球交響曲シリーズ』を知り、その第二番に初女さんが登場します、
観ていたはずなのですが、今思えば何を観ていたのかと思います。

あの頃は選択、ということを狭いものに、自分に強いていたように思います。今振り返ると。。

その第二番のダイジェスト版が、今夜上映されました。
西区山の手にある、浄国寺にて『森のイスキア』の佐藤初女さんの講話会とともに。

友人からその情報を聞き、一度直にお話しをお聞きしたくて、今夜でかけました。

初女さんは、岩木山の麓で『森のイスキア』を主宰されています。http://www.geocities.jp/yuki_no_isukia/mori2.html
これまでに多くの人が(多分1000人以上、、、)初女さんのもとで癒され社会へもどっていったといいます。。。

今夜の講話に中でおっしゃっていたことで
書き留めたもの。

生活と食は切り離せない。

何を、いつ、どのようにしていただくか、ということ。

旬なものを、新鮮な状態で、地場でとれたものを、丁寧に調理していただく。

調理する心は生きる姿。

今を生きる、ということは最高のこと。

素直さは信仰の根源。

小さいと思われることを大切に。

今をそのままにして先へ進んでも安全ではない。

今の若い人は、という前に自分たち大人の姿を見ること、
子どもに対して言い分を受け止める。その結果がよくないときもある。
そういうときは、ちょっと休む。

心を通じないで話しても時間が流れるだけだともおっしゃってました。

大人には次に伝える使命がある。

料理は創作で、創作には浸透作用がある。
例えば、漬け物を塩に浸すと、水分が出る、、、というように。

今を生きる、、、何もないときは、感謝でいること。
そうすると前へ進める。

『通り過ぎるとき、道端にそっとおいて、振り向きもしないで』
これは、初女さんがご近所の方へコロッケをさし上げたときの体験談のあとにおっしゃっていた言葉で今夜深く胸に残った言葉です。。。

善意、奉仕、ということの意味をおっしゃっていたように感じました。

家のご飯がおいしければ、子どもたちは家を出ても、家のその味を忘れないでいるというお話しのあとで、
ある日、ご近所で商売をされていてご飯を作れないでいるお家にコロッケを家族分(5人家族)お持ちしたそうです。。1日、2日、3日経っても何も言葉が返って来なく、初女さんは気になってとうとう『コロッケ、どうだった?』と聞いたそうです。
「おいしかったよ」と答えが返ってくるのを待っていたところへ、「家は売っているコロッケしか食べたことがないので作ったコロッケは食べないの」と。。。

ボランティアとは、その人が何を求めているのかをちゃんと見ないと、という言葉とともに、作ってあげた食べ物を「おいしかった?」と聞くのはよろこばしいことではない、というようなこともおっしゃってました。

映画の中では、
今を生きる、ということは、きのうときょう、同じではないということ。
それに対して「どう生きるときのうときょう、違うのですか?」という質問に、
『気づく、ということ』

『ひとりひとりの中に神がいるのを見る』

最近の出来事や、考えていたことが見事にマッチしてしまって
あるべきしての今夜なんだなぁと思って帰宅しました。


お夜食にはご飯を炊いて、一粒一粒を潰さないようにおむすびにして、お味噌汁を丁寧に作っていただきました。。。。

きっとわたしの他にもそんな方が何人もいたはずな今夜の札幌でしょうな。。。

いいお話しがきけました。

初女さん、ありがとうございました。

ほんとうに、ありがとございました。










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